バドミントンに関係ないコーチのひとり言を投稿しています!
5月25日(土)は朝から、友達のテニスの試合、都市対抗戦の応援に行ってきました!
転勤で函館で過ごしたときに出会った方です。出会った当時、わたしは元気がなかった時期で、前身の札幌バドミントンジュニアクラブの練習に、函館から札幌まで毎週末の往復に限界を感じ、ジュニアクラブをやめたときでした。明るい友人の存在のおかげで前向きになれました。わたしにとっては生涯の友達です!
その友達がカッコよく決めて準決勝まで勝ち上がりました~。社会人になってからテニスを始めて、準決勝まで勝ち上がるってすごいなぁ
試合を見ていると、私もやりたくなりました。テニス始めようかな~
菅原先生のお墓参りに行ってきました。天気も良くて遠くの山までキレイに見渡せました。
【菅原先生との出会い】
私がバドミントンを始めたのは中学1年生の時です。入部してすぐに出場した中体連(白石区予選)では2回戦で1点も取れずに敗退しました(対 素野君 もみじ台南中)
あまりに悔しくて、自分なりに考えて、毎日朝夜ランニング、部活後と土日は区体育館や大麻体育館で練習しました。結果、5ヶ月後の新人戦では札幌市学年別大会で決勝まで勝ち進むことができました。
決勝はファイナルゲームで敗戦でしたが(対 松川君 東月寒中)その試合を見ていた菅原先生が転勤願を出して北都中に赴任してくれたのが、菅原先生との出会いです。
【菅原先生との思い出】
印象的なのは、菅原先生は技術的な指導をほとんどせず、一緒にランニングしてくれたり、他校との練習試合に連れて行ってくれたり、他の部員に申し訳ないくらい、いつも私に寄り添ってくれました。今思えば、技術的な指導より、私自身が自分で考えることを粘り強く見守ってくれていたのだと思います。
2年生の中体連では白石区で優勝して全市大会3位で全道大会(登別市)ベスト16、3年生の中体連では全市大会団体優勝、個人優勝、全道大会(江別市)では団体準優勝、個人優勝、全国大会(奈良県)では個人ベスト8という成績を収めることができました。
自転車で北都中から当時南区にあったNTT札幌体育館まで二人で一緒に何度も練習に通ったこと、奈良公園から会場の体育館まで一緒に走ったこと、寝る前に足首を回してコキッと鳴らすのが癖だったことなど、たくさんの思い出が懐かしく思い出されました。
【菅原先生と約束したこと】
54歳という若さで亡くなられましたが、私が菅原先生の年齢を越えたことが不思議に思えます。先生の葬儀で弔辞を読ませていただき、先生の意思を継いで子供たちにバドミントンを指導していきます、と約束しました。
バドミントンの指導で大切だと思うことは、技術的な指導も大事ですが、やる気にさせられるかどうかだと思っています。菅原先生がそうしてくれたように。
思い出して、胸が熱くなりました。
こうして揃って食事は10年ぶりかな~?
事情があって、母が叔母に会うことを拒んでいて、あっという間に10年!?
二人とも80代、このまま会わずじまいかな・・と漠然と思っていて、ずっと心残りでした。
そして今日、思い切って叔母さんを誘って施設にいる母に会いに行ってきました。もし母に拒絶されたら、そのときはそのときに考えようと覚悟を決めて・・
前もって母に電話したときは「行かない」って言っていたけど、会ったら穏やかで一緒に食事できました!
食後のデザートも「もう甘いものはお腹に入らない」って言っていたのに、帰る間際にソーダフロートを頼んでいて、おいしそうにアイスを食べていました^^
母&叔母孝行できて、よかった!
左が母、右が叔母です。
あっという間の3日間でしたが、日本の大いなる自然や歴史に触れることができて、とても感動しました。皆さんも機会を作って、日本の自然や歴史を探訪してみてはいかがでしょうか。